「理科離れ」は「理科離れ」ではない。
2012年11月06日
矛盾するタイトルですが。
私は「理科離れ」は「理科の基礎知識量の低下」だと考えています。
ちなみに「学力の低下」でもありません。
「理科離れ」という言葉はきっと国策でしょう。
中学教員時代の話です。
「理科が好きな人、手を上げて」という問いに、80%以上の生徒が手を上げます。
「実験が好きな人、手を上げて」という問いに、98%以上の生徒が手を上げます。
学校現場の理科教員が「理科離れ」を感じている人間はほとんどいないのではないでしょうか?
たしかに、観察力や考察力、洞察力がどうかと問われれば、能力が高い生徒は少ないかもしれません。
でも、昔から比べてどうかと聞かれれば「中学生ならその程度」と感じると思います。
「好きこそものの上手なれ」という言葉もあります。
本当に理科から離れてしまったのでしょうか?
ゆとり教育が終了しました。
ゆとり教育については別の記事にするとして、
この教育では理数系の学習内容が大幅に削られました。
もちろん、小学校から高校まですべて。
おのずと、大学入学時の理科の知識量が減ります。
学力が低下したのではなく、学習内容が少ないので、知識量が減っただけです。
大学でも基礎科学から教える時間が必要になり、結果、日本全体の科学技術発展が停滞する事態になりました。
特に今、中国や韓国の産業が活発で、日本の企業が追い抜かれています。
先日のニュースでは、液晶テレビ業界の世界シェアの1位はサムスン(韓国)、2位はLG(韓国)、3位にようやく世界のSONYという有り様です。
日本は国土が狭く、農業・漁業・畜産などの生産や、石油などの資源に乏しい国です。
輸出による利益が望めません。
代わりに、日本人という人種特有の手先の器用さや丁寧さで、科学技術を提供するのが世界における日本の役割でした。
これが他国にとって代わられると、大変なことになります。
だから「理科離れ」という言葉を発したのです。
理系に興味を持ってもらい、科学技術に寄与する人を育てたいのです。
子どもたちが大好きな科学実験を上手く使わない手はありません。
科学実験は日本の未来を切り開く原動力だと考えています。
私は「理科離れ」は「理科の基礎知識量の低下」だと考えています。
ちなみに「学力の低下」でもありません。
「理科離れ」という言葉はきっと国策でしょう。
中学教員時代の話です。
「理科が好きな人、手を上げて」という問いに、80%以上の生徒が手を上げます。
「実験が好きな人、手を上げて」という問いに、98%以上の生徒が手を上げます。
学校現場の理科教員が「理科離れ」を感じている人間はほとんどいないのではないでしょうか?
たしかに、観察力や考察力、洞察力がどうかと問われれば、能力が高い生徒は少ないかもしれません。
でも、昔から比べてどうかと聞かれれば「中学生ならその程度」と感じると思います。
「好きこそものの上手なれ」という言葉もあります。
本当に理科から離れてしまったのでしょうか?
ゆとり教育が終了しました。
ゆとり教育については別の記事にするとして、
この教育では理数系の学習内容が大幅に削られました。
もちろん、小学校から高校まですべて。
おのずと、大学入学時の理科の知識量が減ります。
学力が低下したのではなく、学習内容が少ないので、知識量が減っただけです。
大学でも基礎科学から教える時間が必要になり、結果、日本全体の科学技術発展が停滞する事態になりました。
特に今、中国や韓国の産業が活発で、日本の企業が追い抜かれています。
先日のニュースでは、液晶テレビ業界の世界シェアの1位はサムスン(韓国)、2位はLG(韓国)、3位にようやく世界のSONYという有り様です。
日本は国土が狭く、農業・漁業・畜産などの生産や、石油などの資源に乏しい国です。
輸出による利益が望めません。
代わりに、日本人という人種特有の手先の器用さや丁寧さで、科学技術を提供するのが世界における日本の役割でした。
これが他国にとって代わられると、大変なことになります。
だから「理科離れ」という言葉を発したのです。
理系に興味を持ってもらい、科学技術に寄与する人を育てたいのです。
子どもたちが大好きな科学実験を上手く使わない手はありません。
科学実験は日本の未来を切り開く原動力だと考えています。